2000年第8回大会 出場レポート

開催日 2000/10/8(日)~9(月)
当日の天候 曇りのち雨。気温は例年より低かった。
私の記録 32km地点の西原峠でリヤイヤ。


当日
11:00 チェックと受付を済ませた。
私が到着したすぐ後くらいにJR武蔵五日市線がトラブルで止まってしまったらしかった。それで開会式が少し遅れた。スタート時刻の変更はなく13:00スタートした。



13:30 スタートしてすぐになぜか足が重くなった。まだ舗装道路なのに。しかし登りは割と軽快に行った。気温20℃。
17:30 ヘッドランプを装着した。写真ではフラッシュを光らせているので昼間のように見えるが実際にはヘッドランプの明かりだけでは足下2m四方くらいしか視界がない。

20:10 第1関門の浅間峠到着。なんかずっと足が重い、リタイヤしようかと思ったが、ちょっと休んだら具合が良くなった気がしたので進む。笹尾根は軽快に進めた。一昨年のレースで笹尾根を歩いたときはメチャクチャきつかった記憶がある。疲れ方が違うのかな?。夜間とはいえすごく気持ちのいい行程なのでレースであることを忘れそうになる。



22:58 笛吹峠。かなり眠くなってきた。歩きながら頭がボーっとしてくる。目の焦点があわない。歩きながら寝てる。こんな経験初めてだ。

温度計を見ると12℃。ただ風がないし、あまり汗かいてないのでTシャツも濡れておらず、それほど寒いとは感じなかった。
↓これ以降の事は特別な出来事だったので別途まとめた。




レース中けが人に遭遇して

00:10頃、笹尾根(標高1100m以上)。歩いていても周りにはまったく人影を見かけなくなっていた。これくらいの時間になると人と人の間隔が開いてしまう。みんな先に行っちゃったのだ。私たちは最後尾付近の選手(だったらしい)。

「30km地点」の横断幕があるところに人がいたので私も休憩しようとして立ち止まった。若い男性が二人いて、一人は座り込んでいる。当時は小雨が降り始めていて滑りやすかったためかその人は転んだときに足を痛めていたようだった。

もう一人は仲間ではなく、たまたま通りかかった選手の人で前方を歩く人の歩き方がおかしいので歩行をやめることを勧めたらしい。そして第2関門あたりを行く自分の仲間に携帯電話で連絡してそこから大会事務局側に連絡してもらっていた。そこへ私が追いついてきたのだった。

一番近い役員駐屯地は西原峠で現場からさらに2~3km行ったところ。もう無線で連絡が行っているだろうと、あえて歩いて伝令に行くことはしなかった。

本人はそんなには苦痛を訴えてはいなかったが、真夜中の山中でケガをして助けを待つのは孤独だろうといっしょに居てやるくらいしか思いつかなかった。そこへ後から後続者が到着、中に看護婦をやっているという女性がおり、骨折と見立てて応急処置をしてもらった。さすがだ、競技に包帯もって参加するとは!。

数人の選手で真っ暗闇の中かたまってけが人といっしょにレスキューを待った。私は競技中だったので最低限の装備しかもってなくて、なにも手助けが出来なかった。応急処置する薬、ナイフ、けが人を寒さから守るもの、暖かい飲み物などだれも持っていない。

私はレスキュー技術など無くなんの手助けも出来ないが、もし運搬するときに人手がいるようだったら少しでも力になれるかもしれないと思ってその場に留まっていた。

待っている間に何人かに抜かれ、何人かが私と同じように現場に留まった。そのうち最終ランナーとそれに付いている役員さんが追いついてきた。役員さんはトランシーバーで本部と交信。
1時間ほどしてレスキューが到着、私は実際にはけが人をおんぶさせる補助や照明を当ててやるくらいしか出来なかった。非力です。スミマセン。

2:32、西原峠到着。けが人はテントに収容され、私たちは時間的にみても遅いので全員リタイヤを申告した。
3:00、下山開始。ケガ人は夜明けになってからおろすらしくそのため人手がいるので、私たちリタイア組は役員さんなしで下山した。ちょっと小雨が降ってきた。

4:45、仲ノ平の集合地点に到着。

5:45、車に乗る。メチャクチャ眠い。

6:30、会場到着。もう明るくなってる。ちょっと寝る。

9:00頃、雨が降ってきたので具合を見て帰る。すごくヒザが痛くなってきた。どうやらじっと待っている間にヒザが冷えてしまったようだ。

11:30、帰宅。

後日談。次の年に大会報告書が送られてきて見ると私の遭遇したけが人搬送のことが載っていた。そのとき応急処置の中心的な役割をはたした女性が表彰されたとのこと。その女性は看護婦をしているひとらしく長谷川杯にもスタッフとして関わったことのある人で、その時は選手として出ていたのだった。(実はそのときのけが人と第一発見者とその女性のことは大会直後の記録速報と現地での会話から推測して私自身ではほぼ個人名まで特定できていた。)

なんかちょっとうれしいね。全くの個人で出ている選手たちが協力した、そしてそのことを気にとめておいてくれた人がいたってことが。ケガした人もまぁ大丈夫だったみたいだし。






伴走者???(怒)

体力も尽きてリタイヤしたときに目撃したことです。同じくリタイヤした人に「付き添い」がいる人がいました。リタイヤするときには役員さんにセッケン番号を告げるのですがその二人組青年(中年未満、学生以上くらいの年の頃)のうちの一人は「私は付き添いです・一般登山者です」と答えていました。

当然出場申し込みをしていないし大会事務局側には無届けなんです。ゼッケンもありません。役員さんは「関門を通過するときはどうしたの?」など訊ねる程度で特に何も言いませんでした。おそらく事務局・役員側でもその様な場合を想定していなかったので役員さんも対応に困って何も言えなかったのだと思います。

この大会は一般登山道を使用します。選手以外の人を閉め出したりしないので、選手以外の人がコース中にいてもおかしくはありません。ただその時は夜中の1時頃でした。まったく大会事務局側に連絡されていない付き添い者がいっしょに競技に参加していたのです。大会要項では付き添い者のことは否定も肯定もしていません。まったく触れられてはいません。そのようなことは想定外のことなんでしょう。

まず大会事務局側に連絡されていない付き添い者がいっしょに競技に参加するのは安全管理上問題があると思います。選手は全員RCチップを付けて出走し、完走後やリタイヤ時回収されます。もし一個でも回収漏れがあれば、それは一人戻っていないこととなり捜索しなくてはいけません。事務局の管理下にない人がいればもしもの時大変なこととなります。

意地悪な言い方をすればその様な「付き添い者」が選手に水や食料の補給をする場合もあるかもしれません。山で行動するのですから自分の食料・水・装備は自分で背負って行動するのは当たり前のことです。補給を受ければ失格ですが、長い行程ですからまずわかりません。そこまで役員さんの目はとどきません。競技としてフェアではない!。付き添いがいなければ走行できない実力であれば参加資格も無いと思います。これは要項に書いてあります。

細かい事を言えば無届けで参加していると言うことは参加料も払っていないわけです。その付き添い者は私たちといっしょに下山し、いっしょに車に乗って戻ったのですが、その車の諸費用も私たち参加者が分担した参加料から出ているわけですからタダ乗りをしたわけです。

その後、私たち10人くらいのリタイヤ者パーティは役員さん無しで下山しました。普段は役員さんが先導して下山するのです。事情があって選手のみの下山でした。その二人組がトップ、私がそのすぐ後ろという順でならんでいました。二人組は皆のことなどお構いなしにどんどん先に下りていきます。かろうじてたまに途中で待っているみたいでしたが、ヘッドランプの明かりがほとんど見えないほどの距離まで離れてしまっていました。

即席であろうと仮にもパーティを組んで下りているんだから、それはないだろ!と思いました。真っ暗闇で小雨も降り、えぐれて滑りやすい道、今まででもリタイヤ下山するときは後ろの方の人は遅れやすくあせってしまうので、事実上トップとなった私はゆっくりとしたペースを心がけました。

そのときは特にその二人組とは話はしなかったのですが長谷川杯に出て一番ムカついた出来事でした。

大会後のアンケートがあるのですが、この事はしっかり書いておきました。


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